良く出る話で自責と他責。

一般的に自己啓発的な本を読んだり、出来る人から話を聞くと『自責』で、となります。自責を辞書で引くと「自分で自分のあやまちを責めること。」と出ますが、ここでは自己責任、自分の行動に責任を持つ、ということで捉えます。上記の本や人から聞く際の自責は後者かと思います。

 

良く例で出るのは、散歩していたらバナナの皮が落ちていて、それを踏んでしまい、転んでしまいました、というケースです。

他責モードの人は『バナナの皮を捨てた人が悪い』と考えます。勿論、実際、バナナの皮をごみ箱に捨てずにその辺に捨てる人は悪いです。自責モードの人は『足元を見ていなかった自分が悪い』と考えます。バナナの皮をそこに捨てたのか落としてしまったのかは分かりませんが、その人の良し悪しは自分が転んでしまったことは別問題、と捉えます。

さて、数日後、数週間後、数か月後、数年後、同じような状況に遭遇した時にまた転んでしまうのはどちらでしょうか?

 

別の例を挙げてみます。

ゴルフでのラウンド中盤、この2m弱のパットを入れたらバーディーです。実際、パットをしたら最後の最後で芝に蹴られて入りませんでした。悔しい!!ですね。自責モードの人は『しっかり打てなかった!』『カップ周りをもっとしっかり読んでおけば・・・』と考えるでしょう。他責モードの人は『今日は自分の日じゃないなぁ』『あの芝め!』などと考えるかもしれません。

この場合はどちらが良いですか?自責モードの人は次のホールで同じような場面に遭遇した時にどう考えるでしょうか?『しっかり打たなきゃ』『でも外れたら次のパットが神経使うなぁ?』などと考え過ぎてしまわないでしょうか?他責モードの人は同じような感じで打てるでしょう。

つまり、こういう場合は他責モードの方がメンタルをフラットに保てて、同じパフォーマンスを発揮しやすいと思います。自責モードで考え過ぎるとその日は不安なままパットすることになりますね。数段上でラウンド中盤、としたのは最終ホールのパットであればそのまま終わって、反省として練習グリーンに行けばよいのですが、途中だと迷いがあるまま続きのパットをすることになります。

 

つまり、自責も他責もその状況とそこでやるべき目的によっては良くも悪くもなる、ということです。少なくとも逆にはならないようにしたいですね。

私の場合、基本は自責モードが自分の価値観であり、行動原理です。座右の銘の一つは『今の自分があるのは過去の自分が選択した結果である』です。ただ、自分のメンタルを維持するのに捨てるところは捨てる、というか『自分でコントロール出来ないことには拘らない』です。つまり、自分の行動は自分で責任を持つが、その結果は神のみぞ知る、ですね。

自分なりに何か価値観、考え、大袈裟に言うと哲学を確立することが重要、ということですね。

 

私も過去の経験を踏まえて、現在自分を変えたい、と思っている方をコーチ、メンター、カウンセラーとしてサポートさせていただいています。目標はあるのになかなか変われない、続けられない、という方、是非一緒に取り組んでみませんか。お気軽にお問い合わせください。

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コメント

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