さて、27日ブログの続きです。

母と交代で24時間体制で付添っていました。連続16時間くらい付添っていることもありました。当然、家のこともやらなければ、なのでマメに帰宅して1日4往復以上することもありました。受付の方にも顔と名前を憶えて貰えてほぼ顔パスで通してくれました(笑)。もちろん、面会票はちゃんと書きましたが。

また、私も慣れないながらも家事として食器洗ったり洗濯物を処理したり、やっておりました。

父が入院する前から年明けの予定(ゴルフ、呑み会など)がいくつかありました。年明け前後から具合が良くなく、その予定もキャンセルしなければかなぁ…、なんて思っていましたが、その予定前にはそれほど進行することもなく、母に看病を任せて私は予定をこなしていました。呑み会の後、ゴルフの後にさっさと家事をやって病院に駆けつけ、母と交代しましたが。

さて、母が夜通し看病していたある日、私は自宅に待機して普通に自分の部屋で就寝していました。

朝4時頃でしたかね?急に携帯がなって目が覚めて見てみるとが母からの電話。

慌てて取ると泣きそうな声で「すぐに来て…」と。どうしたの?と聞くと父が血を吐いたそうです。当然ナースさん達には来てもらい処置して頂きましたが連絡した方がよい、と言われたそうです。

飛び起きてほぼそのまま病院に駆けつけるとすでに落ち着いていたようでしたが、ベッドの枕周りは嘔吐物で汚れていました。薬の量を増やし、また吐き気を抑える薬も処方してもらい、一旦落ち着きました。妹も駆けつけてくれましたが、数時間滞在した後、私ともども一旦帰宅。

そして、10時頃に今度は私が付き添いということで病院へ。母には帰宅してもらい、休んでもらいました。

私が付添っている間、落ち着いているようには見えましたが、やはり嘔吐は大小含めて何度かありました。夕方からまた母が来る予定でしたが、いてもたってもいられなかったのか、15時頃には病室に来てくれました。安定しているようでしていないので今夜は二人で付添おう、と言っていました。

16時頃かな…。口の中にたまった嘔吐物をバキュームで吸い込んでもらっていましたが、その際の苦しそうな事…。見ていられませんでした・・・。

処置が終わって一旦落ち着きましたが、もう自分で呼吸器や点滴など外してしまいます。そのたびに我々が取り付けるのですが、またすぐ外してしまいます。会話は出来ませんが、「もう楽にしてくれ…」と言っているようにも見えました。

18時前ころかな。また嘔吐したのでナースさんを呼び、呼吸器など自分で外してしまうことを伝え、顔周りを拭いてもらっているところで反応、動きがなくなりました…。

病室からは別のナースさんが駆けつけてくださり、「心電図の動きが減ってきたので来てみました」とのこと。心臓はかろうじて動いているけど、意識はない状態ですね…。私や母、ナースさん達で声を掛けるも、反応はありません…。そうこうしているうちに心電図の方も停止したようです…。

ここしばらく、あくび以外で涙を流したことはありませんでしたが…。流石に感情が溢れてしまったようです…。

18時過ぎにいらした先生が来てくださり、脈や心音などから亡くなられたことが宣言されました…。

 

 

関連記事

  • 関連記事
  • おすすめ記事
  • 特集記事

コメント

この記事へのコメントはありません。

TOP