日本で進行中だった大きな開発プロジェクト

シンガポール駐在中に日本で開発していた新製品開発(そちらにリソースを取られていたので他の案件がシンガポールに回ってきた)が諸事情で停止していました。その時に携わっていた方は残っている人もいるけど、移動された方、定年退職された方、色々いらっしゃいました。特にプロジェクトマネージャーだった方は私が入社した時の課長さんで非常に厳しい方でした。今ならパワハラかも?ですが、改めて思えば非常によく目をかけて頂いて育ててもらったと思います。マレーシア工場でも責任者をされたことがあり、そちらでも厳しく指導いただきました。話が逸れましたが、その方も定年退職されています(シンガポールからお礼の電話させて頂きました)。

その開発案件が再開する、ということでプロマネとして私に白羽の矢が立ちました。この開発はハードウェアの設計は種々の細かい不具合は残しつつもほぼ完了しており、量産化も近い、という状況でした。開発規模も非常に大きく、国内、海外の様々な仕入先様に関わっていただき、そのプロジェクトを止める、とのことで色々悶着があったようです。

プロジェクト再開に当たり、設計のメンバーは自分の課のメンバーからアサインしますが、他部署や仕入先様に再開の説明に回りましたね。私自身、プロジェクトの状況、停止背景などはほとんど知りませんでしたし、プロマネが退社後だったので過去のいきさつを知る術もほぼありませんでした。だから反って(同情を得ながら?)理解を得ることも出来たのかもしれません。

いざ、再開!

ハードウェアの設計はほぼ終わっている、と思っていましたが、いざ信頼性評価を再開すると分かっていた件以外にポロポロで出てくる始末。更に使用している部品で生産中止になるし(CPU周りのメモリー等は生産期間が短いんです)。量産化に当たって設計評価では出てこなかったような不具合や作り易さに向けての改善提案が山ほど出てくる・・・。納入先からは量産化直前に外観を変更したい、と。極めつけは外観に一番大きな樹脂ケースの耐久性が思いの外低く、というか、実使用ではほぼ問題ないのですが、品質規格で定まった自動車環境から来た信頼性試験を行うと割れてしまう、とか…。

アメリカ行ったり、中国、台湾に行ったり、インドネシアに行ったり、メンバーに韓国行かせたり(韓国は自分が行きたかった笑)国内走り回ったりとこの頃はほんと、ドタバタしていました・・・。

このように勢いでやっている時は意外とメンタルもフィジカルも大丈夫です、自分は。心配なのはメンバー達。メンタル休明けの人もいるし、残業があまりできない中で問題解決しなければならず、気の抜けない状況でのハードワークでした。幸い、みんな元気に楽しくやってくれましたね。メンタル休明けの子も心配でしたが、メンタル病が再開することもなく、無事走り抜けてくれました。

無事、量産化完了。

社内の各部署からのメンバーでは結構仲が良く、ちょくちょく飲み会とかやってました。愚痴もありましたが、呑みながら、酔いながらどうやって問題解決しようか、どうやって納入先や社内の役員や部長を納得させようか、なんて話を前向きにしていました。

そんなこんなでほぼ全ての問題を解決し、無事量産化完了。私がプロマネになってからも2年近く掛かったと思いますが、この時の達成感、メンバーのホッとした表情、部長や役員からの労い、良い思い出ですね~。

打ち上げの飲み会では定年退職されたプロマネにも来てもらって楽しく労いあいました(多めに払ったので財布は涼しくなりましたが・・・)。

量産後

すべての問題を解決して量産化出来たわけじゃないので量産後も日々奮闘です。また部品の生産中止があったり、生産性向上、採算性向上など。これから10年以上流動するので設計部署として手離れするものではありません。各部署から集まっていた精鋭メンバーも直接担当からは外れ、基本は設計部署主幹で進めていきます。

量産後も色々大きなトラブル、プロジェクト化した案件等もありますが、それはまた機会があれば。

こちらでも軽く自己紹介しています。

https://www.c-sagaseru.com/ross-isshiki

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