略歴、続きます。今回は主に大学時代。

初めての一人暮らしが始まりました。最初は寮に入ったので友達はすぐにできました。

が、寮は自治寮なのは良いとして、同部屋の先輩を始め、2年生の6回生っていう人がたくさんいました(笑)。要するに、これ以上の留年したら卒業できない、という人がたくさんいる、ということです。それにちょっと不安を覚えてすぐに退寮し、アパートを借りました。

サークルは色々勧誘がありましたが、結局何故か準硬式野球部に入りました、軽い気持ちで。硬式野球部よりは緩くてて草野球みたいな感じかな、と思っていましたが、そんなことはなく、ガチガチの体育会系でした(笑)。高校3年間帰宅部だった自分には練習は非常に大変でしたが、なんとかついて行って、ピッチャーをやらせてもらいました。ただ、久しぶりに投げたからか肘か肩を痛めてしまい、あまり投げられませんでした・・・。一応、リトルリーグの硬式ボール、中学では軟式ボール、大学で準硬式ボール、と一通りボールは経験しました。準硬式ボールというのは硬球のようにコルクと糸巻きをしてあり、表面は軟式のようにゴムになっています。身体に当たった時の痛さは硬式と同じです。

この頃、この野球部の先輩に紹介してもらってガソリンスタンドでバイトを始めます。ここから車好きが始まりましたね~。免許取ってすぐに父親の勤め先のディーラーで10万円ほどの車(S57年式?カリーナ)を購入しました。オートマでしたがとりあえず車を持てて大人になった実感が沸いたことを覚えています。

でもマニュアルの車が欲しくて、(ほぼ大学にもいかず)バイトばかりしていたので親が心配してローンで買いなさい、と言ってくれました。欲しかったのはAE92カローラレビンGT-Z。100万円ほどの中古車を見つけたので毎月2万円、ボーナス月10万の2年ローンを組みました。連休はバイトしまくり、普段もボーナス用に貯めてボーナス払いもしていました。我ながらアホか、と思いましたが意外に無理なく払い終わりました。

楽しく乗り回していましたが、昼間に近所の山道でぶつけてしまい、運転センスがないことにあっさり気づいてしまって路線変更。それで当時ドレスアップ、と言われるカスタムを楽しんでいました。今はもうないですがautofashion The Stageという雑誌が愛読書となり、その雑誌に掲載されるのを目標に楽しんでいました。

バイト先のガソリンスタンドで若干安くパーツを仕入れて、自分で取り付けたり自動車部の友達に飯おごって取り付けてもらったり。あと、大学の研究室のサーバーを使って車のドレスアップのメーリングリスト(今でいうオンラインサロンみたいな感じ?)を立ち上げて全国のドレスアップ好きと交流を図ったりしていましたね。

大学4年次にいは就職活動していましたが、(言い訳ですが)バブル崩壊時の大就職難で学校推薦もらった地元愛知の電力会社も落選してしまいました。自由応募で何社か受けるもそちらもダメ。結局親に大迷惑をかけましたが、大学院い行かせてもらうことになりました。大学院も推薦で行けるような成績ではなかったので夏休み中は勉強して大学院の試験に備えました。それまであまり勉強しておらず、ほぼ所見の勉強ばかり(笑)。

無事大学院の試験には合格したのでまたバイトで車いじり(笑)。エスカレートする一方です。卒業論文は何となく書いて提出しました。有限要素法を用いた、何かの解析でした。

大学院時代もあまり研究室にはいかずバイトばかりしていました。よく言えば社会勉強です(笑)。バイト先では大企業の役員さん、自営業や個人商店の社長さん、など色々な方に可愛がってもらって楽しくバイトを続けられました。

大学院の2年生になるころにはまた就職活動です。就職状況はかなり改善されていたので2年前は募集していなかった企業も結構推薦が来ていて、普段あまり学校に顔出さないのにこの頃はマメに学校に顔出して、地元の大手自動車部品メーカーの推薦に飛びつきました!

筆記試験や面談を終えて無事合格。安心してバイト三昧です(笑)。大学院2年生の後半には上のカローラレビンも車検切れなので新しい車を買うことにしました。このレビンは研究室の後輩が欲しい、と言ってくれたので安く譲りました。事故ったり、ホイール盗まれたり、雑誌に載ったり、いじりすぎてバッテリー上がって箱根の山で動かなくなったり、と色々な思い出がある車でした。

新しく買った車は次に紹介します。

修士論文も担当教授の助けもありなんとか終了。仮説推論を用いた何かの解析。大変お世話になりましたし、この時に論述ってものを初めて知りました。

続く・・・。

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