シンガポールの続きです。
生活、仕事に慣れてきたかなぁ?
右往左往しながら1年くらいたったでしょうか?昇格したL君を中心にローカルメンバーの力量も把握出来てきて、まぁまぁ力はついてきたと思います。FA業界の製品は一度リリースすると15年から20年くらい現役として流動するのですが、その間色々な部品や材料が生産中止になったり、部品の調達性、生産性改善、採算性などを改善するために度々設計変更を行うのですがシンガポールでは主に10年ほど前に生産開始された製品を上記のような目的で生産維持活動の設計変更を主に行っていました。納入先もその製品をシンガポールで事業していましたので。納入先とのやり取りも毎回ローカルを何度か同行させてみてもらっていましたが(私は納入先相手でも結構ガンガン言うので、どう感じたでしょうね(笑)??)
デンソー流の品質保証、信頼性の考え方などがだいぶローカルメンバーに定着してきたのでちょっと手の空いた時にそれらのノウハウを手順化?基準化?等で残していく作業をやっていました。日本で使用している手順書や規格書、チェックシート等を黙々と英訳し(途中から面倒になってNDA結んで外注化しましたが)、ローカルに説明しながら定着を図ります。こういった業務は非常に大事ですが、やる方は退屈ですね。早くこれらを用いて新製品の開発を行いたい!と。
新製品開発、やってみるか?と
そんな時に納入先から日本の事業部へ新製品開発の打診があり、他の仕入先候補とコンペをする、と。それに対し、以前の私の上司からシンガポールでやってみるか?と。ちょっと不安もありましたが、何とかなるだろう、と思ってやってみました。ローカルに話すと目をキラキラさせて見積用の資料を作って日本に提出。それを提案書のような形にまとめて納入先に提出します。私も日本の上司と同行して昔駐在していたミルウォーキーへ行きました。関係ないですが、シンガポールは気温30℃前後。ミルウォーキーはその頃30℉前後(0℃弱)。そんなことを小ネタにしながら話を盛り上げて(?)。納入先もシンガポールで開発する、ということに不安を感じていたようでしたが、これまでの納入先のシンガポール拠点とのやり取り実績やシンガポールならではの強みを説明して何とか受注に漕ぎつけました。
日米星馬の4拠点間開発
納入先の事業本部はミルウォーキー(アメリカ)、我々の事業責任は日本、開発推進はシンガポール(星)、製造はマレーシア工場(馬)の体制で進むことになりました。我々の部品仕入先含めるともっと色々な国が絡んでいますが(笑)。
開発リードはシンガポールで進める初めての案件。製品の仕様決め、開発状況報告の日米星での3拠点テレビ会議(時差調整が…)、マレーシア工場での新規立ち上げ。今にしても思うと大きなプロジェクトでしたね~。納入先と、日本と、ローカルと、マレーシアと喧々諤々で不穏な雰囲気になったこともありましたが、なんとか鼓舞して、協力して、プロジェクトを成功させる思い一つでやってましたね。納入先の責任者がわざわざシンガポールに状況確認に来たり、それに同行して日本からも役員が来た時は右往左往しましたがこれはアメリカ駐在時代の経験が活きましたね。こういうことでやり切った姿をローカルに見せるとちょっと尊敬してもらえてる、信頼されている気がします(笑)。
なんだかんだで完了
設計はシンガポールの特色を生かすため、近隣国の仕入先を新たに開拓して活用しました。自動車品質レベルが基本である日本の承認を得る際には『本当に大丈夫なんか?』オーラ満載でしたが幸いマレーシア品保の日本人が非常に協力的で一緒に監査に来てくれたり資料の支援してくれたり、と日本の承認を得ることができて、日本設計では実現できないような製品を実現できたと思います。
マレーシア工場のローカルも非常に協力的で、ここは日本よりもシンガポールとの距離(物理的な距離と人種的(?)な距離)の短さもあったでしょうね。マレーシアや周辺仕入先が何か困ったらすぐに駆け付けることが出来ましたからね。
でも、色々ありましたが無事量産化でき、日本の承認も得て、納入先に出荷されました。その後ローカルメンバーと打ち上げしましたが、その時の騒ぎ様といったら(笑)。これは私も嬉しかったし、自信になりましたね~。
仕事以外は?
もう、ほぼゴルフ(笑)。シンガポールに駐在していらっしゃる日本人の方というのは大手企業のかなりの役職の方。ゴルフとなると4~5時間一緒になるのですが、そこでの立ち振る舞い、考え方など勉強になることばかり。自分のようにゴルフに没頭している、というか真面目に向き合っていることにをリスペクトしてくれる人いるし。自分は基本技術者ですし、職場で関わる人もそういう感じの人が多いのですが、保険会社、金融会社、など日本ではまず関わらないであろう業界の上級役職者の方と懇意に出来たのは今の自分の基盤になっているところもありますね。
人間万事『塞翁が馬』
全くアクシデントのように決まったシンガポール赴任ですが、訳も分からず走り回って環境に呑まれた結果は自分を大きく成長させることになりました。何が起こるか、どうなるかわかりませんね。
一つ、挫折、というか上手くいかなかったのは課長格への昇格です。仕事の実績はこれまでの通りまぁまぁよかったと思うのですが、何せ昇格試験(アセスメント)の指導をシンガポールではマメに受けられなかった(という言い訳)もあって合格しませんでした。不合格、というよりも枠に入れず、翌年以降に昇格、となりました。係長の私がL君を課長格に昇格させたのに、自分の課長昇格は失敗する、という・・・(笑)。これも人間万事『塞翁が馬』。この先、どうなるかは分かりません。全て自分次第。
4年で帰任
いよいよ帰任。後輩が後任として赴任してきました。自分がされていないから、というわけではないですが、あまりしっかり引継ぎはせず(笑)。ま、日本でこちらの業務見ていたのである程度はわかっているし、引き継がれるのも大事だけど、自分で藻掻きながらやりくりしていく方が本人の成長になると思うんですよね。ローカルもいるし。
帰任の引っ越し時には両親が手伝いに来てくれて、観光がてら荷物まとめや掃除をやってくれたので非常に助かりました。
帰りはシンガポール航空ではなく、アシアナ航空でソウル仁川空港経由で無事日本に帰ってきました。
シンガポール編、またネタが切れたらここに触れていないことも書いてみようと思います。
こちらでも⇒軽く自己紹介しています。https://www.c-sagaseru.com/ross-isshiki
コメント